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スタッフブログ
2021年9月

信長の葬儀(2021.9.24)

 「葬儀をだす」というのは現代では時に「面倒ごと」のようで、亡くなった方の子供たちが皆喪主をやりたくなくて、誰が喪主をやるのかもめた挙句に「兄弟連名で喪主」というケースもあるようだが、ことに権力者の葬儀となると、誰が喪主になるのか、誰が取り仕切るかが重要になってくる。それは葬儀の主催者が亡くなった権力者の後継者である事を示すことになるからだ。

 「本能寺の変」で夢半ばに散った信長の葬儀は、信長の死から約四カ月半後に豊臣秀吉が主催し執り行われた。信長の長男・信忠は本能寺の変にて死亡していたが、信長の次男・信雄、三男・信孝は存命。順番でいけば信雄が後継者として葬儀を行うべきところだが、信長の後継者たらんことを世に示すため秀吉がこれを主催、秀吉陣営は葬儀に参列しない(呼ばれなかった?)信雄、信孝が葬儀の妨害をしてくるのでは? と警戒し、葬儀の警備に三万人を動員している。

 偉大な指導者の葬儀を通じて残った者たちが一致団結して進んでいくようになればよいのだけど、その葬儀が新たな火種を残った者たちの中に産むことになってしまっては、亡くなった人も浮かばれない。

文責・運行管理者 碑文谷

御城印・・・諏訪原城(2021.9.10)

 光タクシー・総務の平野です。

 本日の中日新聞に落語家の春風亭昇太師匠が島田市にある「諏訪原城」の御城印(神社仏閣の御朱印の、お城版)のデザインをされたとの記事がありました(「諏訪原城」については当ブログ2019.5.13の記事で紹介しています)

 この「諏訪原城」の御城印ですが、背景に家紋が並んでおり、諏訪原城を築城した武田氏の「武田菱」、武田氏から城を奪い取った徳川氏の「三つ葉葵」そして、中日新聞の記事では省略されていますが、今川氏の「赤鳥(鳥をイメージしているように見えますが、櫛の垢をとる「垢取り」という化粧道具を図案化したものです。)」が。

 赤鳥紋があったので、もしかして諏訪原城は今川氏が築城した城を武田氏が改修したのかな? と気になってWikipediaで調べましたが、どうやらそういうわけではなく、諏訪原城のある遠州地方を元々領有していた今川氏に対する昇太師匠の愛のようです。

 思い出せば「城めぐり」というアプリで「桶狭間の戦い」の合戦イベントがあり、アプリのユーザーは今川軍・織田軍を選択してアプリ内で得点を稼ぎあい、総合計の得点の高い軍が勝ちとなるのですが、多数がユーザーが織田軍を選択し、今川軍は劣勢に。結果、今川軍は織田軍に敗北。史実の織田軍の奇襲による一点突破の桶狭間とは異なり、圧倒的な織田軍の陣容に今川軍が屈した形となりました。実はそのイベント時、昇太師匠が今川方の1ユーザーとして参戦されており、敗戦後、昇太師匠からのメッセージ動画が公開されたり、運営さんの粋な計らいで敗軍である今川陣営にアプリ中で使える「赤鳥の幟(のぼり)」が配られたりしました(通常は勝利した陣営のみに配布物があり、敗軍にはないのが常)。

 もちろん、このイベントの時には、私も「海道一の弓取り」たる今川義元公の陣営におりました。昇太師匠、ありがとうございました。